「マスターキートン」~人生の達人が紡ぐ大人の寓話~⑪ 『家族』

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大人のための寓話「マスターキートン」のレビュー第11弾『家族』を紹介する。

本作は、かつて競泳で国の英雄となったものの、その後ダーティヒーローとして転落してしまった男の物語である。

寂寥感が漂う作風の中にも、人の優しさと温もりを感じさせる良作に仕上がっている。

ストーリー

かつて、カール・ノイマンは100メー自由形の競泳選手だった。
オリンピックの檜舞台で宿命のライバル・ヴェンナーを下し、金メダリストの栄誉に輝いた。

だが、英雄と奉られたノイマンに悲劇が襲う。
ドーピング違反が発覚したのだ。
旧東ドイツ代表のノイマンは、コーチから長年にわたりステロイド漬けにされていたのである。
ノイマン自身は全くあずかり知らぬことだったが、一転して激しいバッシングにさらされる。
こうして、カール・ノイマンの名誉は地に堕ちた。

ノイマンが失ったのは名誉だけではない。
恐ろしい副作用により、心臓に加え全身の筋肉まで蝕まれていたのである。
そして、罪悪感から生きる気力も消え失せていた。

そんな折、内戦により難民となったユーゴスラビアの人々と出会うのであった。

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ノイマンの悲劇

未だ、いたちごっこを続けるドーピング問題。
洋の東西を問わず連綿と続くこの不正行為は、とりわけ旧共産圏では国を挙げて行われていた。
つい最近でも、民主化したはずのロシアに国ぐるみのドーピング問題が発覚し、国としてはオリンピック参加を認められていない。
こうした現実を見るにつけ、冷戦時代の旧共産諸国で行われていた非人道的なドーピング違反は推して知るべしだろう。

本作の主人公・カール・ノイマンもまた、この問題の被害者である。
冷戦終了後、同胞たちがうまく立ち回り、オリンピック委員会や体育協会の要職に就く中、生真面目なノイマンは己を責め続けるうち、妻にも愛想をつかされてしまう。

そして、気力も萎え、酒浸りの日々を送るようになる。
そんな彼はいつしか、自分は生きていてはいけない人間だと思うようになっていた。




あたたかき人々との邂逅

定職にも就かず怠惰な生活を過ごすノイマンは、血で血を洗う民族紛争に巻き込まれたユーゴスラビア難民と共に暮らすようになる。
一緒にいるうち、ノイマンは不思議に思った。
なぜ、故郷を追われ帰る家もないというのに、彼らの笑顔はこれほどまでに爽やかなのだろうと…。

彼らは誰にでも気さくに接し、とても優しかった。
もちろん、ノイマンにも。
だが、心を閉ざすノイマンは彼らの好意に距離を置き、孤独に身を置いていた。
それでも、ユーゴスラビアの人々はノイマンを邪険になどしない。
人の心に土足で踏み込むことをしない彼らといる空間は、ノイマンにとって居心地が良かった。

そんなある日、難民の子どもが遊んでいると、スキンヘッドのネオナチ風の輩たちに絡まれた。
ゲルマン民族純血主義を唱える暴漢たちは、女子どもにも容赦がない。
そこに、ノイマンが現れた。
死に場所を求めて彷徨う彼は、子どもの代わりに自分を殺せと迫る。
異様な雰囲気に気圧された輩たちは、一目散に逃げ出した。

その英雄的行為に、難民たちはノイマンに感謝する。
だが、ノイマンは死ぬチャンスを逃したことに落胆の色を隠せなかった。

家族

ノイマンのもとに、キートンが訪ねて来る。
かつて、鎬を削ったヴェンナーがノイマンの技術を高く買っており、コーチとして招聘したいことを伝えるためだった。

そして翌日、キートンはヴェンナーと連れだって、ノイマンの下へ向かった。
しかし、ノイマンは悲愴な想いを胸に、すでに安住の地を去った直後だった。

「いつまでも、あの人たちの好意に甘えてはいられない。私はあそこにいるべき人間じゃない」

去り行くノイマンに、暴漢から救ってもらった子どもが名残惜しそうについていく。
子どもは最後の別れに、以前ノイマンから渡されたオリンピック金メダルを返そうとした。
「ついてくるな!」と走り去るノイマンを追う子どもは、落としたメダルを拾おうとして川に落ちてしまう。
その瞬間、ノイマンは子どもを救うため、迷わず川に飛び込んだ。
ボロボロになった体に鞭を打ち、子どもを岸に上げることに成功する。

だが、力尽き、そのまま水底へと沈んでいく。
水中から見つめる景色は、とても美しく空が銀色に輝いていた。
ノイマンには、まるで天国に続いているかのように感じた。
意識が遠のく中、ノイマンの顔に雨が降り注ぐ。
その雫は、とてもあたたかい。
気が付くと、自分の顔を覗き込むユーゴスラビアの人々が涙を流している。

「おじさん!」
「おお、よかった!!気がついたぞ!」

辺り一面に歓喜がこだまする。
おぼろな意識の中、ノイマンは理解した。

「この人たちは…この人たちは私のために涙を…」

涙ぐむノイマンに、ヴェンナーが声をかけた。

「分かるかい?ヴェンナーだよ。私と一緒にコーチをやろう」

実は、ヴェンナーが溺れかけたノイマンを助けたのだ。

「ヴェンナー…すまないが…断るよ」

自分のために涙を流してくれた、あたたかき人々を見ながらノイマンは言葉を継ぐ。

「家を見つけたんだ。一緒に生きていく家族を…」

そこにはノイマンと新しい家族の、幸福な笑顔の花が咲いていた。


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まとめ

栄光から一転して、卑怯者の誹りを受けるノイマン。
生きる希望すら失った男が、絶望の深淵で見つけた一条の光。
それはユーゴスラビアからやって来た、あたたかき人々だった。

ストーリーの中に埋没しそうだが、かつてのライバル・ヴェンナーも心温かき好漢といえるだろう。
オリンピックの表彰台で敗れた悔しさを微塵も見せず、世界記録を出したライバルを讃えることができるフェアプレー精神。
そして、たとえ世間に後ろ指を差されていても、ノイマンの高い技術を公正に評価し、手を差し伸べようとする人柄。

全てを失ったかに見えたノイマンだが、善き人々に恵まれたことが窺える素晴らしきエンディングであった。

今、ノイマンにとって、人生の第2幕が上がった。

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