「マスターキートン」~人生の達人が紡ぐ大人の寓話~⑤ 『シャトー ラジョンシュ1944』

マンガ




今回は「マスターキートン」の名作『シャトーラジョンシュ1944』を紹介する。

本作品はワイン造りのメッカ・フランスのブルゴーニュ地方を舞台に、館主と使用人が織り成す職人の矜持を描いた物語である。

人間にとって本当に大切なものは安定や金なのか…それとも…。

伝統が効率や生産性に追いやられる昨今、守るべき大切なものを教えられる。

ストーリー

フランス・ブルゴーニュ地方のシャトーラジョンシュで、ヴィクトールは生まれた。
彼にとって屋敷を取り巻くブドウ畑はワイン学校であり、父の代からの使用人リベロは先生だった。

ブドウの実の良し悪しは全て天候に左右され、いわば神の思し召し次第である。
ときは1944年、第二次世界大戦の真っ只中、屋敷隣のブドウ畑に神の祝福が舞い降りる。
最高のブドウで造られたワイン「シャトーラジョンシュ1944」は、500本しか販売されず奇跡の名酒と謳われた。
以降、神の気まぐれか、あの年のような恩恵を授かることはなかった。

それから40年以上の歳月が流れ、館主となったヴィクトールは岐路に立たされる。
不安定な伝統的ワイン造りか、妻が推進する安定を見込める最先端の近代的製法か…。

そして、ヴィクトールは一世一代の決断を下した。


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リベロとヴィクトールの物語

ワイン造りの匠であるリベロは、ヴィクトールによく言った。
「ブドウの樹は気難しいんです」

実際その通りで、日照が多すぎても少なすぎても良くない。
寒さには強いが霜には弱い。
5月の遅霜にはリベロとふたり、徹夜で火を焚いた。

そして、肝心なのが摘み入れ時期の判断である。
早すぎては糖分不足、遅すぎては香りを失う。
リベロは、この見極めが秀逸だった。

リベロは言う。
「勝負は半日です。半日のずれが決定的になるんです」

実は、「シャトーラジョンシュ1944」には秘話がある。
リベロとヴィクトールが、命を賭したからこそ誕生したのである。

当時、ドイツ軍と連合軍が激しい戦いを繰り広げ、ブルゴーニュ一帯は銃撃戦の主戦場と化していた。
折悪く、ちょうどその時、ブドウが収穫の時期を迎える。
誰もが摘みに行くことを躊躇した。
それはそうだろう。
ワインよりも命の方が大事なのだから。

弾丸が頭上を飛び交う中、ブドウ畑に向かう人影があった。
リベロとヴィクトールである。
その年は天候にも恵まれブドウの当たり年だったが、今を逃すと無駄になってしまう。
死と隣り合わせで摘んだ結果、500本のビンテージが生まれる。
ちなみに、他の畑は摘み頃を逃したため、まともなワインが出来なかった。

もう一つ、リベロとヴィクトールには深い絆で結ばれる訳がある。
銃弾の雨の中、摘んだブドウは醗酵を終え、熟成が始まった。
すると、噂を聞きつけたドイツ軍が略奪しにやって来る。
ワインを入れた樽と共に、リベロとヴィクトールは干し草に隠れていた。
軍人たちは干し草に剣を突き刺し、探索を始める。
すると、凶刃がリベロの首を貫いた。
ヴィクトールとワインを守るため、瀕死の重傷を負ったリベロは痛みを堪え、声一つ上げずにやりすごす。

こうして生まれたのが、奇跡のワインなのである。
まさしく、リベロとヴィクトールの命を賭した勇気と、ワイン職人の魂がこもった生一本の名酒、それが「シャトーラジョンシュ1944」だった。

その名酒を、ふたりは1本だけ売らずに貯蔵した。
そして、固く誓う。

「神の助けが必要なほど、苦しい時が訪れたら二人で飲もう」と。

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それぞれの思い

1944年以来、なかなか神の恩恵を受けられず、赤字続きのヴィクトールのワイナリー。
妻の再建計画に従い、近代的な製法を実現するため、オリゾン社と事業提携を進めていた。
ただし、「シャトーラジョンシュ1944」を引き渡すことを条件に…。

引き渡しの調印式とパーティが今夜行われる。
リベロはヴィクトールに告げた。
「今夜をもって、最後の仕事とさせていただきます」

セレモニーを前にして、ヴィクトールは一人苦悩する。
「私は…リベロが命をかけた全てを売ろうとしている…」

いよいよ幻の名酒を渡すときが来た。
万雷の拍手を浴びながら、社長はヴィクトールに手を伸ばす。
ところが、その刹那、ヴィクトールは時価1000万フランを下らないビンテージを床に落とした!

全てが水泡に帰し、事業提携は露と消えた。
妻もヴィクトールの下から去って行った。

ヴィクトールはリベロに訊く。
「リベロ…お前も行くのか」

「はい」
そう答えたリベロは、言葉を継ぐ。
「しかし、その前にワインを一杯というのも一興かと存じます」

ヴィクトールはグラスに注がれたワインを口にする。

「こ…これは!!」

驚愕するヴィクトールに、リベロは静かに言った。
「必ずや旦那様はああなさると思いまして、ビンをすり替えておきました」

「すまなかった…リベロ…私は…」

リベロはヴィクトールを真っ直ぐ見つめながら、力強く語りかけた。
「大丈夫。必ずまた、こんな傑作をものにできます。そうですね?旦那様」

「リベロ…」

感極まるヴィクトールは言葉にならない。

「では、改めて乾杯いたしましょう。今こそ、これを飲むのにふさわしい時です」

リベロはあの時の誓いを、今果たした。

所感

本作品の中で、最も印象に残る人物がリベロである。
リベロは只の使用人ではない。
ヴィクトールのワインの師であり、主人に誠意と真心をもって仕える“忠臣”でもある。
いや、ヴィクトールの人生の師といっても過言ではないだろう。

では、この名作の主題とは何だろう。
ひとつは、終生変わらぬリベロとヴィクトールの絆である。
命懸けの末に産声を上げた名酒「シャトーラジョンシュ1944」と、ふたりの誓いの言葉。
その誓いを、リベロは物語のエンディングで鮮やかに回収する。

あの場面で飲むために、「シャトーラジョンシュ1944」はこの世に生を受けたのかもしれない。
リベロとヴィクトールが、精魂込めて完成させたワインである。
本当の価値が分からぬ者に1000万フランで売るよりも、最後にリベロとヴィクトールが味わってこそだろう。

ふたつ目は、決して金や効率には換えられないものの存在であろう。
「リベロが命をかけた全てを売ろうとしている」事実を前にして、慙愧の念から幻の名酒を叩き割ろうとしたヴィクトール。
リベロへの思い、そして心の中に宿る職人魂の存在が窺える。
日本円にして億単位の金をドブに捨てるなど、誰ができるのだろう。
ましてや、ヴィクトールは経営難に苦しんでいるのである。

だが、さすがリベロである。
「旦那様のことは生まれる前から存じ上げております」と言うだけあって、ヴィクトールの行動を読んでいた。
その瞬間、リベロだけは眉一つ動かさず、「ただ起こるべきことが起きただけ」という風情で見届ける。

リベロとヴィクトール。
ふたりを見ていて思うのは、人と人との信頼と絆こそ人生で最も大切なのかもしれない、ということだ。
また、命を賭す価値があるものとの出会いは、人に誇りと信念をもたらすのだとも…。

『シャトーラジョンシュ1944』。
味わい深き名作との邂逅に、感謝の思いが込み上げる。

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最後に

「シャトーラジョンシュ1944」で乾杯した後、リベロはそれまでの発言通りヴィクトールのもとを去ったのだろうか。

リベロは、調印式とそれに伴うパーティを最後の仕事とする旨、ヴィクトールに伝えた。
そして、妻に去られたヴィクトールに去就について尋ねられた際も、ひと言「はい」と答えている。
普通に読めば、思い出のワインでの別れの乾杯だったと解釈すべきかもしれない。

だが、希望的観測なのは承知だが、私にはあのリベロが独り残された主人を置いて出て行くとは思えない。
幻の名酒「シャトーラジョンシュ1944」をすり替えたことを明かした後、リベロの口から紡がれた「では、改めて乾杯いたしましょう。今こそ、これを飲むのにふさわしい時です」という乾杯の言葉。
“改めて乾杯する”という台詞と、ヴィクトールと交わした誓いをあえて口にしたのである。
これはヴィクトールへのエールのみならず、ここより今、リベロ自身の再起への決意が込められた言霊のようにも聞こえはしないだろうか。

また、科学の力を結集した近代的生産法の象徴が妻ならば、伝統的ワイン造りの象徴がリベロだといえるだろう。
ヴィクトールは1000万フランを棒に振る覚悟で、妻の提案する計画を反故にしたのだ。
どれほどの重い決断が必要だったことか…。
ギリギリのところでヴィクトールは己の内なる心に従って、リベロと伝統を取ったのである。

さらに言えば、リベロはヴィクトールのワインの師匠であり、愛弟子が恩師の信念を継承する道を選んだのだ。
これまでリベロとヴィクトールはどんな艱難辛苦が訪れようと、ふたりで歩んできた。
この世に生を受けてから傍らで見守り続けたヴィクトールの正念場で、“忠義の人”リベロがこのまま去って行くなど、私には想像できない。

年々誇大妄想が激しくなる素浪人の戯言ではあるが、興味がある方は本作品をご覧いただき、結末に思いを馳せてみては如何だろう。

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