「闇に降り立った天才」赤木しげるの名言・名場面 ⑭
『奴は死ぬまで保留する』

マンガ




対浦部戦。
その終局後に発した言葉こそ、浦部だけにとどまらず、我々凡夫の生き方も痛烈に皮肉ったものだろう。

ストーリー

対局を終えたアカギは組長にひとしきり種明かしをした後、長居は無用とばかり帰路に就こうとする。

ところが、暗闇の中、アカギに敗れた浦部が待ち構えていた。
その両手からは夥しい血が流れている…。
敗れた代償として賭け金の3200万円の負債のほか、ケジメも取らされたのだ。

その異様な迫力に気圧される治をよそに、アカギは全く意に介さず通り過ぎる。
すると、「覚えとけっ…!アカギ!傷が癒えて、この負債を払い終わったいつか…それが何年先だろうと必ず…オマエを倒す…!」と殺気立つ浦部。

常軌を逸した浦部の様子に、「アカギさん、ほっときましょう…!浦部は今ヤケになってますから…」と怯える治を無視して、くるりと向きを変え浦部のもとへ行くアカギ。

「いつか…!いつか必ず…オマエを倒す…!」

凄む浦部に対し、赤木しげるは全く動じず言い放つ。

「お前には無理だ。お前は欲に振り回された挙句、肝心な場面で腕が縮む、そういうレベルの人間だ…得意なことは人の匂いを嗅ぎまわることぐらい…」

怒りに震える浦部に、赤木しげるは言葉を継ぐ。

「いつかなんて言わなくていい…今でいい。半荘1回の勝負をしてやろう。オレが負けたらお前の背負った負債を全て引き受ける。代わりに、もしオレが勝ったら…お前の両手その手首から先をもらう…ってのでどうだ?」

浦部を正面から見据える赤木しげるの表情は、漆黒の闇に佇む悪魔のようである。
浦部の負け犬の遠吠えとは次元の違う本物の凄味…。

固唾を呑んで様子を見守っていた組長がアカギを窘めた。

「やめておけ!そんなバカな真似は…勝っても負けても、お前になんの得もない」

赤木しげるは「ククク…」と不敵に笑いだす。

「だから、かえっていいんですよ。元々、損得で勝負事などしていない。ただ勝った負けたをして、その結果、無意味に人が死んだり不具になったりする…そっちの方が望ましい。その方が博奕の本質であるところの理不尽な死…その淵に近づける!醍醐味だ…なあ、浦部…!」

その迫力に「う…ううっ…」と二の句が継げず、結局、浦部はイモを引いた。

帰り道、治は口角泡を飛ばして気色ばむ。

「勘弁してくださいよ!アカギさん…!奴が受けなかったから良かったものの、もし受けたらどうするつもりだったんですか?」

「そういうことにはならないさ…あいつにはそんな甲斐性はない。あいつが危なそうに見えたのは一種の演技、お芝居さ。奴がエセであることは間違いない。いわば、安全圏の中だけの凄み。本当の怒りじゃないからこそ受けなかった」

先ほどまでの狂気が去った赤木しげるは静かに続けた。

「あの男には死ぬまで純粋な怒りなんて持てない…ゆえに、本当の勝負も生涯できない。奴は死ぬまで保留する…!


アカギ-闇に降り立った天才 6

 

所感

まず、ヤクザの組長が堅気?のアカギに「やめておけ!」と正論を説く姿が、ユニークに感じるのは私だけだろうか。
それほどまでに、アカギの切り返しが常軌を逸していたのである。

若き日の赤木しげるは、万事このような調子であった。
不合理、理不尽にして無意味な死…こうした勝負の後には骨も残さない、破滅するまで突き進むのがギャンブルの本質だと随所で言っている。

そんな赤木しげるの口から紡がれた「奴は死ぬまで保留する」という箴言。

これは果たして、浦部だけに当てはまることなのだろうか。
我が身を振り返ると、保留し続けていることに気づかされる。
それは、ほとんど全ての人に当て嵌まるに違いない。

そもそも、“保留する”とはどういうことなのか。
つまるところ、先延ばしするということだろう。
我々凡夫は、「大事なことだから、もう少し様子を見よう」とか「今は時期尚早だから」などと言い訳を並べて、今この瞬間を薄めている。

翻って、赤木しげるは今を生きている。
 “今一時の気持ち”で、今だけしか存在しないこの瞬間に殉じている。
だからこそ、信じられないような神域の一打を卓上に放つことができるのではないか。

一流のアスリートにも、“ゾーンに入る”という現象が起こる。
ここ一番の場面で集中力を極限まで高めた結果、神懸かり的なプレーを見せるのだ。

古い話で恐縮だが、NBAのマイケル・ジョーダンやF1のアイルトン・セナ、比較的最近ではゴルフのタイガー・ウッズなどが該当するだろう。
いずれもが、人知を超えた圧巻のパフォーマンスを発揮し、奇跡の瞬間を味わせてもらったことを思い出す。
それは、天賦の才だけでは起こせない。
赤木しげるのような“今一時の気持ち”で事に当たり、己の中の時間を限りなく濃密にすればこそだろう。

また、余命宣告を受けた患者が一瞬一瞬を懸命に生き、命を輝かせるのは、残された時間が少ないことを心で実感できるからではないか。
我々は頭ではいつか死ぬことを理解していても、その実、本当の意味では実感していない。
だから、いつまでも時間があるような錯覚に陥り、死ぬまで保留を繰り返す。

「生と死」。
この対極にある理をいつも隣り合わせにし、隔てることがないからこそ、赤木しげるは“誰よりも濃密な今”を生きているに違いない。

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