真説 桜井章一『ショーイチ』~ラークマイルドの善さん~

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裏世界で20年間無敗を誇った麻雀の代打ち・桜井章一。
本作品はその伝説の雀鬼を描いた『ショーイチ』の続編である。

本シリーズでは治外法権麻雀や、桜井も一目置く強敵・南雲成人等との引退麻雀など、数多の名勝負が卓上で繰り広げられてきた。
どれもが、我々凡人の常識の範疇を超越した感性のせめぎ合いともいえる、究極の勝負である。

だが、そんな伝説の闘牌に彩られた『ショーイチ』の中で、なぜか私は街の雀荘の一マネージャーにすぎぬ人物が最も印象に残っている。

本稿では、その思い出の人物“ラークマイルドの善さん”の物語を紹介していこうと思う。

ストーリー

善さんは新宿歌舞伎町にある雀荘「南々荘」のマネージャーであり、お金の管理や店内のトラブルを処理する番頭役を務めている。
穏やかな物腰に加え確かな雀力も併せ持ち、桜井も信頼を寄せる好人物である。

善さんは桜井を心配して、たびたび声をかけた。
「ショートホープは強すぎるからさ…もっと軽いタバコに変えたら?」
「おいおい…何言ってんだよ、善さん!1日5箱も吸ってるヘビースモーカーのセリフとは思えないな」
「違いねぇや!なんの説得力もありゃしない…」
そう言うと頭を掻きながら、いつものラークマイルドに火をつける善さん。
店内は、あたたかい笑いに包まれた。

ある日、そんな善さんが客同士のいざこざの仲裁に入った際、珍しく厳しい姿勢で対峙する。
その迫力に、刺青を見せてすごむヤクザも圧倒され、出て行った。

この日からしばらくして、善さんは体調を崩し、店を休むようになった。


ショーイチ (1) 20年間無敗の男 桜井章一伝 (近代麻雀コミックス)

ショーイチとの最後の麻雀

桜井はいつものように南々荘に出向くと、善さんがカウンターに立っていた。
「あれ?体はもう大丈夫なのかい」
「うん。ただの風邪だから」
桜井の問いかけに、相変わらずラークマイルドを吸いながら答える善さん。
当然、普段から桜井に軽いタバコに変えるよう忠告している善さんなので、自分こそタバコを減らすようツッコミを受けるも、善さんは笑ってごまかした。

桜井の同卓で打っていたサラリーマンに急用が入り、会社から呼び出しをくらう。
その穴埋めに入ろうとする雀荘のメンバーを制し、善さんは珍しく卓につく。
南場に入り、善さんは立て続けに勝負手で攻めるが、あと一歩のところで競り負ける。
オーラス、トップ目と桜井がリーチ合戦で叩き合う中、メンホン七対子を聴牌する善さんは当たり牌が出るも見逃した。
結局、桜井がツモあがり、逆転トップで決着する。

局後、桜井は善さんに尋ねた。
「善さん、オーラスの一索、当たりだったろ?なんで見逃したの?」
「かなわないな、ショーちゃんには。当たってもトップにならないし、勝負手で2度負けてるしさ…和了って3着じゃゲームの終わりにふさわしくないもん。2度の勝負手で勝てなかったのは、てめえの努力が足りなかったせい…そう教えてくれたのはショーちゃんじゃない?」

これが、桜井が善さんを見た最後となる。
善さんは肺がんで旅立ったのだ。
自分が肺がんであることを知っていたという。

善さんは番頭という役目もあり、ほとんど打つことなくカウンターから桜井の麻雀を見ていた。
だからこそ、桜井イズムの流れを汲む麻雀を打つことができ、高潔で気品のある人柄そのままの闘牌を卓上に描いていた。
あのオーラスも、勝負処で敗れた自分が出しゃばることなく、たとえ大物手だとしても無駄な和了はせず、トップ争いを見守る姿勢を貫いたのである。

そんな善さんだからこそ、桜井も人柄だけでなく麻雀においても認めていたのだろう。

そして、自らの余命を悟っていたであろう善さんは、桜井章一との最後の勝負を恥ずかしいものにはしたくなかったに違いない。

最後まで、善さんは彼らしい“意志のある麻雀”を打ち切った。




善さんの生い立ち

私が今でもこの物語を忘れられないのは、善さんの生い立ちにある。

善さんの出自は、雀荘のオーナー以外には長らく知られていなかった。
それが明らかになったのは、客同士のトラブルに厳しい姿勢で仲裁した時だった。

そもそもの発端は、テレビで中国残留孤児の放送をしていた際に、ヤクザ者が無知と偏見に基づく放言を垂れ流し始めたことである。
そのことが原因で、同卓者と揉め出したのだ。

店内のトラブルに対応する番頭の役目に加え、善さん自身が戦時中、中国という異国の地で地獄を見てきたからこそ見逃せなかったのであろう。

当時、中国各地の日本人全てが難民だった。
特に、ソ連国境付近の開拓民は関東軍に見放され、ソ連軍と匪賊の両方に追われ悲惨を極めた。
迫りくる死の恐怖の中、荷物を捨て食糧も捨ててまで、幼い我が子を背負い必死になって逃げた。
日本兵たちは敵に察知されることを恐れ、親たちに我が子を殺すよう命令する。
それでも、我が子を自らの手にかけることのできない親たちは、ある者は兵隊に、またある者は心ある地元民に託した。
そんな命懸けの逃避行の最中、善さんは、とある日本人集落で全ての人たちが自決した現場も目撃した。
さらに、親兄妹の全てをソ連兵に殺されながらも、銃弾の雨あられを浴び血の海の中、何とか生き延びたのが10歳となる善さんだった。
そして、孤児となった善さんは独り、日本の土を踏んだのである。

親たちは自分が助かりたいから子どもを捨てたんだと喚くヤクザに、「捨てたんじゃないんです…我が子を生きさせようとしたんです!」
自らの体験を踏まえ、往時の真実を語る善さんの言葉の何と重いことか!

そんな善さんは少年時代、孤児の仲間同士で野球をするのが楽しみだった。
だが、雀荘のオーナーも南々荘に来るまで、善さんがどこでどう生きてきたかは分からないという。

桜井章一は身寄りもなく、たった一人で生きてきた善さんの人生に思いを馳せた。
きっと、様々な裏切りにあったに違いない。
なぜならば、善さんのあの透けるようなやさしさは、裏切り続けられた末に得た本物のやさしさだったからだ。
それ以来、桜井はラークマイルドを吸うようになった…。

高度経済成長期真っ只中の新宿歌舞伎町の雀荘は、ヤクザやゴロツキなどが跳梁跋扈し、それこそ四六時中ケンカやトラブルが絶えなかった。
そんな鉄火場において、善さんのような人物がいたのは地獄に仏だったことだろう。

一見すると、善さんは悪夢のような少年時代を過ごしてきたとはとても思えない。
だが、ヤクザを窘める善さんの言葉に、我々は想像もつかぬ過酷な真実を知ることとなる。

善さんの透けるようなやさしさ。
それは、全く他意など存在しない、どこまでも透明で混じりっ気のない純粋なやさしさである。

わずか10歳で天涯孤独の身となり、初めて土を踏む日本の地で独り生きねばならなかった善さん。
桜井が語ったように、様々な裏切りや搾取にあってきたに違いない。
それでも、善さんは世を恨まず、人に失望せずに生きてきたのである。
そうでなければ、あの透けるようなやさしさを身にまとい、雀荘に集う人々をそのやさしさで包み込むなど出来はしない。

病魔に侵されながらも、桜井の体調を気遣い続けた“ラークマイルドの善さん”。
そして、ひとりで生き、ひとりで逝ったであろう善さん。
せめて、その最期のときが安寧であったことを祈るばかりである。

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