警察マンガの金字塔「ハコヅメ」④ 横井係長という名の聖母 ~カナの恩師の温かさ~

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「ハコヅメ」には川合ちゃんや藤聖子、カナや牧ちゃんなど個性豊かな女性警察官が揃っている。

そんな多彩な女性陣にあって、最もバランスが取れた人格者が“カナの恩師”横井係長ではないだろうか。
いや、全登場人物の中でもNo.1かもしれない。

見た目こそ地味な経理担当といった風情だが、職務遂行能力の高さのみならず、誰よりも温かい心も持つ「町山署の聖母」のエピソードを紹介する。

カナとの絆

“カリスマ的女性警察官”鬼瓦の後任として、警察学校の教官となった横井。
その横井が担当した新人の中にいたのが、後に“くノ一捜査官”として活躍する黒田カナだった。
当時から機転の利くカナは抜け目なく立ち回り、表面的には成績優秀で卒業する。

ときが経ち、町山市で殺人・死体遺棄事件が発生する。
たびたび痴話ゲンカを起こし、警察に通報されていたカップルの男が彼女を殺害し逃亡した。
カナはこのカップルが騒ぎを起こすたび、担当者として対応に当たったが、殺人事件にまで発展したことにより苦境に立たされた。
悪いことは重なるもので、上司の西川係長が倒れ、さらにカナの双肩に責任がのしかかる。

そんな中、カナと共に遺族をフォローしたのが、本部捜査一課に赴任した横井係長だった。
カナを助けるため、自ら名乗り出たのである。
横井は、絶望に打ちひしがれ何度も心が折れそうになる教え子に厳しくも温かい叱咤激励を行い、遺族の無念を晴らすべく奔走する。
そして、鋭い洞察力を誇るカナらしい着眼点で有力な証拠を探りあて、事件は解決した。
だが、カナは担当していた女性を死なせてしまった慙愧の念と、無責任に正義を振りかざす市民のバッシングに疲弊し、事件解決を区切りに退職を決意する。

17時30分、最後の勤務を終えたカナ。
「職場のみんなには退職のことは伏せて欲しい」という願いを聞き入れてもらい、人知れず去ろうとする。

そのとき、横井係長が現れ、事務室全員に聞こえるように言った。

「今日で警察辞めるらしいな」

蜂の巣をつついたように騒ぎ出す署員たち。
呆然とするカナに横井は言葉を継ぐ。

「誰にも知られず職場を去りたい?なに甘えたこと言ってるの。引き留める手を全て振りほどいて行きなさい」

荷物を抱え、カナは脱兎のごとく走り出す。
その背中を同僚が追いかける。

横井はその光景を見つめながら、警察学校時代の教え子を思い出していた。

“カナ…小さなあんたの身体では同期の隊列に付いていけなかったね…”

“カナ…あの頃のあんたには手を差し伸べてくれる同期が、仲間とは思えなかったかもしれないね”

“カナ…今あんたを引き留めようとする手は、あの頃よりちょっとは違うように見えてるか?”

警察署の外で仲間たちに囲まれるカナの視界に事務室から身を乗り出し、滂沱の涙を流す横井が飛び込んだ。

「カナ!頑張れよ!身体には気を付けて…もう無理するんじゃないよ!頑張れ!カナ!超頑張れよ!」

「横井教官…」

恩師が滲むカナだった。

生活安全課が誇る“くノ一”こと黒田カナの退職までを描く「アンボックス」。
別章として描かれる物語は、「ハコヅメ」ファンなら必見である。

様々な苦難に見舞われた末、カナは町山署を去って行く。
無くてはならない存在だっただけに、喪失感が拭えない。
それに負けず劣らず、かけがえのない教え子に最後までエールを贈る横井の姿が胸を打つ。

思えば、鬼瓦というスーパー女性教官の後を継いだ横井には、筆舌に尽くしがたい苦労があったことだろう。
しかし、ポーカーフェイスを崩さず、己の職務を全うする。
それは、本部の捜査一課に配属されても変わらない。
部下に的確な指示を与えつつ、精神的支柱の役目も担った。
おそらく、横井が助っ人に入らなければ、カナは最後まで捜査に耐えられなかったかもしれない。

横井は一見すると無表情で、お世辞にも愛想が良いとは言えない。
しかし、本当は誰よりも温かい心を宿している。
それは恥も外聞もかなぐり捨て、去りゆくカナに贈った言葉に表れた。

横井は後輩たちへ、ある思いを胸に秘めていた。

「たとえ逆風に吹かれても、自分が選んだ道ならば立ち続ける気力は湧くはずだ。警察官を辞めようが退官まで続けようが、おまえらが笑っていられる未来なら…私は絶対応援する」

きっと今後いくたびも、カナの人生には苦難が訪れることだろう。
だが、そのたびに思い出すに違いない。
自らの旅立ちに流れる涙もそのままに、エールを贈る恩師の姿と珠玉の言霊を。


ハコヅメ~交番女子の逆襲~ 別章 アンボックス (本作品収録巻)

立浦巡査部長との物語

1. 再会

春の人事異動で、町山署の生安(生活安全課)に赴任した立浦巡査部長。
彼は内心焦っていた。
自分の下で実習生として付いていた、横井係長も生安に異動してきたからだ。
ただでさえ立場が逆転してやりづらいというのに、実習生時代の横井をイビっていたのである。

実は、この立浦。
今回の異動は、部下への行き過ぎた指導が原因だった。
昭和の文脈を引きずる立浦には当たり前の叱責も、時代が変わった今、パワハラになってしまう。
己の価値観が時代錯誤なことを、他ならぬ立浦自身が身に沁みて理解していた。

異動して間もないというのに、早速同じ係の桜と益田の不甲斐ない姿に爆発する。
だが、パワハラまがいの態度を同僚に叱責され、その場を逃げ出した。

ひとり自販機コーナーで立ち尽くす立浦のもとに、横井係長がやって来た。

「私が実習生の頃、“10年は黙って仕事しろ”って仰いましたよね?私はその教え通りに仕事に打ち込むうち時代が変わり、女性が働きやすい環境が整備されつつあります」

真剣に耳を傾ける立浦に、横井はなおも語りかける。

「今となってみると立浦部長のあの言葉は、頑固で跳ねっ返りだった幼い私を守ってくれました。だから、今改めてお願いします。私自身、初めての生安業務…教えていただきたいことだらけです。立浦部長のお力を貸してください」

実は、立浦を同じ係にして欲しいと希望したのは横井だったのだ。
そして、子沢山で子育てにも労力を割かれる益田や、未だ怪我が癒えず妊娠中の桜ともども、立浦が必要不可欠なチームの一員であることを伝えた。

神妙な面持ちで、立浦は呟いた。

「何を考えているのか分からない仏頂面の新任だと思っていたが…随分立派な警部補さんになったな」

そして、横井のこれまでの警察官としての道のりに思いを馳せる。

「男の縦社会の中、俺みたいな奴ばっかりで、さぞや苦労したことだろう」

と同時に思った。

「人の成長にぶん殴られるのは気持ちいいもんだ」

実習生という駆け出しの頃、いかにも昭和のパワハラ親父といった立浦のイビりに泣かされ続けた横井。
にもかかわらず、立場が逆転してもなお、真摯に教えを請う謙虚さに感嘆を禁じ得ない。
しかも、自ら部下として迎え入れることを希望したのである。

そんな横井の誠実さに打たれ、己を見つめ直す立浦。
パワハラ気質は褒められたものではないが、根っ子は腐ってはいなかった。

そんな凸凹コンビは過去の恩讐を乗り越えて、阿吽の呼吸で係を牽引していった。




2. あの頃とは違う涙 

妊娠中の桜は日に日に、つわりが酷くなる。
また、4人目の子どもが生まれたばかりの益田も、赤ん坊を徹夜であやしフラフラになっていた。

そんな中、捜査一係から来週、2回の深夜捜査の応援を頼まれる。

「はあ!?俺はせんぞ!」

食って掛かる立浦。

しかし、そこはさすが横井係長。

「大丈夫です。2回とも私が出ます」と返事した。

すると、またもや立浦は騒ぎ出す。

「そしたら日中は俺に負担がくるだろ!なんで、俺がそんな目に遭わねぇといけないんだよ!」

まさに駄々っ子である。
その様子に生安課長は他の係に割り振った。

横井が廊下を歩いてると、係員に対する陰口が聞こえてきた。
職場復帰して間もなく妊娠した桜や子育てに追われ疲れ切った益田、パワハラ親父と揶揄される立浦。
さらに、何の非もない横井まで槍玉に上げられる始末である。

誹謗中傷を受け流す、心の広い横井係長。
だが、未だ怪我の後遺症に悩まされ、身体が出産に耐えうるか懸念される桜のことだけは、絶対に守り切る決意を固めていた。

つわりが酷く早退する桜を迎えに来た、同期で機動隊員の岡田。
夫として職場全員に妻のことで頭を下げ、日頃の感謝を述べてまわる。

近くに来た岡田に立浦が話しかけた。

「おい君。俺は生安じゃ、そこそこの経験をしている。昔、周りが過労死したり、休職したりで、生安係を一人で回したことだってある。仕事はこっちで何とでもやるから、できる限り桜を休ませてやってくれ」

その瞬間、横井は気が付いた。
立浦が捜査一係の応援要請に駄々をこねたのは、係長である自分の代わりに憎まれ役を買って出て、係の負担を減らそうとしてくれたのだと。

横井はトイレに駆け込むと、実習生時代と同様に換気扇を睨んだ。
あの頃、立浦の小言に参ってしまい、しょっちゅう涙が引っ込むまで換気扇を見上げていた。

「私って奴は警部補になっても…やってることは変わらんな」

この話は派手さこそないが、名場面として印象に残っている。
パワハラを反省したかと思えば、今度は我がまま放題の立浦に呆れてしまう。
だが、本当は自ら悪役を引き受けて、係長以下いっぱいいっぱいの係員たちを守ったのである。

立浦は最初こそ桜を役立たずだと決めつけ、厳しい視線を向けていたが、次第に優しい心遣いや真面目な仕事ぶりを評価していった。
こんなことも、立浦の犠打を促した要因かもしれない。

そんな立浦の真意を知り、若き日に比べ逞しくなったはずの横井をして、涙腺が崩壊してしまう。
それにしても、人前では涙を見せないように努め、換気扇を見ながら涙を堪える姿は、実に横井らしいと思うのは私だけだろうか。
それだけに、カナとの別れの際、人目もはばからず流した涙がより感動を誘う。

過去の経緯を水に流し、適材適所の人材活用を図る「上司の鑑」横井係長。
パワハラ職員の烙印を押され身の置き場がない自分に、居場所を与えてもらえた感謝を行動で示す立浦巡査部長。

ふたりを見て浮かぶのは、あるドラマの台詞である。

「人生で最も素晴らしい出会い。それは再会だ」

この名言を体現する横井と立浦の再びの邂逅に、私は深い感慨に包まれた。

まとめ

命がけの修羅場を収めたものの、ホッとする間もなく課題山積に頭を悩ます横井のケータイに着信音が鳴り響く。
立浦からだった。

その内容は忙しさに目が回る横井の代わりに、重要案件を全て片付けたという報告だ。
生安畑の長い立浦は、経験豊かなベテランの真価を遺憾なく発揮する。
そんな立浦に救われ、心から感謝を伝えようした矢先、横井は憎まれ口を叩かれる。

「まだまだノロマな横井だな(笑)上司がこれだと骨が折れるわ〜アッハッハ」

立浦の高笑いに、「クソっ!いつもは仕事できねぇふりしやがって!」

悪態をつきながら地団駄を踏む横井。
普段では絶対にお目にかかれない姿に、クスリとさせられる。

西川係長とカナが居なくなった生活安全課。
その後釜に赴任した横井係長と立浦巡査部長。
旧知のふたりが若い部下をフォローして、一致団結する生活安全課は今日も忙しい。

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