警察マンガの金字塔「ハコヅメ」⑥ 夫婦の想い ~同期の桜 もう一つの物語~

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警察漫画の金字塔「ハコヅメ」。
作中に登場するバイプレイヤーの中で、個性的な夫婦といえば副署長と鬼瓦京子だろう。

屈強な警察幹部の夫と、その強面を尻に敷く“元カリスマ女性警察官”の妻。
そんなふたりの想いが伝わる名シーンの数々に、熱いものが込み上げる。

副署長

スキンヘッドにひげ面と絵に描いたような強面の副署長。
それもそのはず、武道枠で採用された柔道の達人で、機動隊あがりの武闘派だ。
ちなみに、部下からは「熊」の愛称で親しまれている。

だが、実は部下思いの優しい一面を持つ。
だからこそ、副署長は署内の訓練では率先して教官を務め、部下に厳しい指導を行う。
それもひとえに、いざという時に可愛い部下を守るためである。
常日頃からの弛まぬ訓練があればこそ、想定外の場面でも対応できるのだ。

源や藤ら同期の友情と、桜の悲劇を描いた「同期の桜」は、作中屈指の感動的なストーリーである。
それは何も、彼ら彼女たちだけの物語ではない。
交通課の宮原巡査部長、源らの恩師・鬼瓦教官など、当時町山署に在籍した警察官たちにとっても忘れられない出来事だ。

それは、もちろん副署長も同じ思いである。
桜の轢き逃げ犯“守護天使”を追い詰めた、大捕物のクライマックスシーン。
副署長は、自らの命令を無視して動く現場の警察官たちに憤りを隠せない。

「クソ、何で誰も俺の言うこと聞かねえんだよ!」

思わずケータイを放り投げる。

そのとき、北條係長は待ち受け画面に気が付いた。
副署長と娘、そして、お腹に子を宿した妻・鬼瓦京子が映った一葉の写真だった。

「ああ…4人で撮った唯一の写真だ」

その後、轢き逃げ事件の過酷な現場で対応した妻は、流産してしまったのである。
副署長は無念を覗かせ呟いた。

「あの日と俺は何も変わらん…こうして無線機の前でバカみてぇに突っ立って、妊娠中の妻が現場から応援を求める声を何もできずに聞いていただけだった。家族がどんなに危険な目に遭っても、手も足も出ない。夫としても警察幹部としても俺は…」

現場に向かう警察官が大変なのは言うまでもない。
だが、副署長のような心ある上司なら現場に駆け付けることができず、じっと部下を信じて待つだけの身はもっと辛いだろう。
そんな苦悩が垣間見える“熊”の後ろ姿。

すると、無線から副署長を呼ぶ声が聞こえて来た。
交通課の巡査部長・宮原三郎からだった。

「貴局の健闘を祈る!」

そのとき、宮原は“守護天使”を確保した。
以前、宮原は副署長に「轢き逃げ事件が解決したら奥さんにもう一人お願いしてみては」と進言していたのである。

実は、その宮原。
桜の轢き逃げ事件の現場を、鬼瓦と共に対応していたのだ。
だからこそ、事件への思いは人一倍強かった。

「3年前の現場責任を果たしたおっさんがガラにもなく、チョットはしゃいじまった」

そう語る宮原の粋な姿に、私は胸が熱くなる。
あのシリアスな場面で下ネタをぶっこむことに賛否両論あるかもしれないが、私には副署長への思いが詰まったエールに聞こえた。
そして、副署長の妻・鬼瓦は、宮原の同期でもあったのだ。
お腹にいる最愛の娘を流産した夫婦の悲しみを、子だくさんの宮原はいたいほど理解していた。
「同期の桜」は何も源や藤たちのみならず、宮原と鬼瓦という同期の物語でもあったのだ。

“守護天使”の逮捕により事件が解決し、一度は警察を辞める覚悟を決めた桜だが、川合ちゃんのファインプレーもあって撤回する。
その際の、副署長の台詞も彼らしい。

「ああ…それは…家内が喜ぶ」

彼自身、感無量の面持ちにもかかわらず、あえて妻が喜ぶと口にする副署長。
こんなところにも人柄が滲み出る。

さらに、“熊”の部下思いは止まらない。
職場復帰を果たした桜は、同期の岡田と結婚し妊娠する。
つわりが酷い妻を機動隊に務める夫が迎えに来た。
激務で鳴らす機動隊の岡田が早退し、妻の職場に来られたのは理由があった。
元機動隊の副署長が後輩の機動隊長に連絡し、岡田のために一肌脱いだのである。
さり気ない優しさが沁みる。
妻の流産を経験した者ならではの思いやりといえるだろう。

そんな“心あたたかき”男が、身を切られるような思いをする日が訪れた。
殺人・死体遺棄事件で疲弊したカナから自殺未遂の報告を受ける副署長。
その際に拳銃を使おうとしたことを詫びるカナに、副署長は言い放つ。

「俺はそんなことで怒っているんじゃない!俺はお前に一言の相談もしてもらえないほど、頼りない男だったのか?こんなに仲間がいるのに撃鉄を起こした瞬間も、一人の顔も浮かばなかったのか?」

カナは謝罪すると、警察官の辞職を申し出た。
副署長は思わず身を乗り出す。

「カナ!」

しかし、その瞬間、妻との思い出が甦る。

“流産した後「警察官を辞めたい」と言った嫁。励ますべきだったのかもしれんが正直…あいつが警察官じゃなくなることに…俺は心底ホッとした”

副署長はそれ以上、言葉が出なかった…。

カナの自殺未遂の事実を前にして、副署長の表情は激怒しているというよりは哀しみに満ちていた。
そして、上司としてではなく、むしろ同じ町山署の仲間として切々と訴えかけていたように見える。
とかく部下を駒としか見なさない幹部も散見するが、“熊”は全く違う。
カナの退職の陰影をより濃くしたのが、副署長の心のこもった言葉だった。

妻の退官。
そのときの本音が甦り、カナへの言葉を呑み込んだ副署長。
心中は察してあまりある。

三鷹刑事課長の下で刑事としての心得を叩き込まれ、勤勉な性格も手伝って副署長まで昇進した。
その警察官人生は三鷹の回想からも、苦労の連続だったに違いない。
そんな副署長だからこそ、部下を想い、人を大切にできるのだろう。




鬼瓦教官

作中屈指の“スーパー女性警察官”として登場するのが、副署長の嫁・鬼瓦京子である。
警察学校時代の源や藤たちの恩師でもあり、後に桜の痛ましい事故にも立ち会った。

「同期の桜」という傑作編の主役は、もちろん桜を中心とする源や藤ら同期の面々だ。
だが、もう一つの物語の主人公は鬼瓦ではないだろうか。
あの轢き逃げ事件では瀕死の重傷を負った桜だけでなく、流産した鬼瓦も悲劇のヒロインなのである。

あの事件に遭遇するまで、鬼瓦教官には夢があった。
それは、女性初となる警察学校の校長になることだ。
桜の悲劇に加え、自らの流産も重なり、さすがの女傑も心が折れ退官を決意する。

事件解決後、かねてから約束していた同期の女子会が開かれる。
当然のように、恩師・鬼瓦も呼ばれていた。
容姿端麗な鬼瓦、藤、桃木だけでなく、“体力オバケ”松島までドレスアップに余念がない。

最後に現れた桜は車いすに乗っていた。
いまだ後遺症が残り、精神的ショックも引きずっていると言う。
だが、瀕死の状態から会に参加するまで回復したことが、何よりも嬉しい同期たち。
桜の顔を見た途端、鬼瓦は胸がいっぱいになった。

「久しぶりだな…桜…よく頑張ってくれた」

久しぶりの再会にも、いつもの調子を取り戻していく面々。
松島は桜を茶化し、桃木がフォローにまわり、藤はスカしてる。
警察学校時代と変わらぬ光景に鬼瓦はつかの間、教官を務めた在りし日を思い出す。

時はたち、ついに桜は切り出した。

「教官…こんな私を警察官に育てていただき、本当にありがとうございました」

そして、桜は過ぎ去りし懐かしい日々を語り出す。
同期たちは桜の話に耳を傾けたあと、銘々に言葉をかけた。

その様子に、鬼瓦は気が付いた。
松島は茶化さず、素直に優しいことを言えるようになっていた。
桃木は堂々と自分の意見を言えるようになった。
スカしていた藤は豊かな表情をしている…。
そして、泣き虫だった桜は泣かなくなっていた。

変わってないようで、しっかりと成長している教え子たち。

そして、桜はきっぱりとこう言った。

「私は警察官には戻りません」

恩師は万感の思いを込めて答える。

「ご苦労だったな…桜」

鬼瓦の目から涙が落ちていた…。

桜との再会。
そのシーンは間違いなく、作中随一の名場面といえるだろう。
私は同期同士の再会はもとより、鬼瓦教官と桜の再会が心に残った。

名は体を表すが如く、鬼瓦は温かさだけでなく厳しさも兼ね備えた教官だった。
ましてや、鉄のメンタルを誇る彼女が人前で涙を見せるなど考えられない。

あの日、桜が事故に遭い救急隊員が駆け付けた際、鬼瓦は心の中で叫んでいた。

“早く、早く…その子を助けてください!私の教え子なんです!鍛えて…しごいて…何度も這い上がってきた…私の自慢の教え子なんです!”

その教え子が今、目の前にいた。
望むべくもないと思っていた約束の女子会に、あの桜が参加している。
鬼瓦でなければ、冒頭で号泣していただろう。

ときを経て、変わらないものと変わったもの。
教え子たちを見て、感慨に耽る鬼瓦教官。
あえて、“元”は付けずに呼ばせてもらう。
なぜならば、警察を退官した今でも、彼女たちは決して変わらぬ教え子なのだから。

そして、エンディング。
鬼の目から涙とはこのことだ。
これまでの桜の苦しみに思いを馳せ、労をねぎらう鬼瓦。

と同時に、桜に感謝する。
退官を告げる最後まで恩師の言葉を守り、桜は凛とした“警察官の面構え”を貫いていたからだ。

そんな桜に心の中でそっと呟いた。

「最後まで…私の教え子でいてくれて…ありがとう」


ハコヅメ~交番女子の逆襲~12 (本ストーリー収録巻)

まとめ

副署長と鬼瓦京子。
まさしく「この夫にして、この妻あり」といった趣である。

きっと、鬼瓦にとって何よりの朗報だったのは、桜が退官を翻意したことだろう。
自分が育てた教え子が、自身が愛した仕事を続けてくれる。
しかも、自分が一番大切にしていた「防犯」や「交通安全」に、最も力を入れていたのが桜だったのだ。

最愛の教え子からの吉報に、今度は“鬼の目から”嬉し涙を流したのだろうか。

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