「ここは今から倫理です。」レビュー

マンガ・アニメ




雨瀬シオリ原作の本作品は、『グランドジャンプむちゃ』(集英社)で連載中の漫画です。

「みんなが選ぶTSUTAYAコミック大賞2018」においてネクストブレイク部門で2位になり、2021年10月現在で電子版を含めた累計は160万部を突破しています。
また、2021年1月には山田裕貴主演でテレビドラマ化もされました。

倫理や哲学と聞くと小難しく感じ、苦手な方もいるでしょう。
かくいう私も、そもそも倫理と哲学の違いもよく分からず、ソクラテスやプラトン、ニーチェなどの話かと思いました。

ところが、実際に読んでみると先入観とは裏腹に、ストーリーに引き込まれていくではありませんか。
もちろん倫理の話も出てきますが、具体的なエピソードと紐付けられているので心にスッと入ってきます。
まさに倫理の入門書としても、うってつけといえるでしょう。

「ここは今から倫理です。」の少し知的で、生徒の心に優しく寄り添う世界を覗いてみませんか。

ストーリー

「倫理」の高校教師・高柳が学校を舞台に倫理という学問を通して、様々な生徒と関わっていく物語です。
ですが、最も多感な10代の高校生が悩みや問題に直面したとき、机上の理論ではなく現実に即して倫理学を生きるヒントに落とし込んでいきます。

主人公・高柳はスラリとした美男子で、クールな雰囲気と相まって一部の女子生徒から熱い視線を送られています。
しかし、その風貌とは異なって生徒のためならば、裏社会の住人と渡り合うことも躊躇しません。

普段は冷淡な態度に映る高柳ですが、いざという時、生徒の心と真摯に向き合う良き教師なのでありました。


ここは今から倫理です。 1 

心に残った場面

「誰もが 自分の視野の限界を 世界の限界だと 思い込んでいる」

「倫理は学ばなくても、将来困ることはほぼ無い学問です。この授業で得た知識が役に立つことは、ほぼありません」

いきなり、最初の授業で高柳はこう切り出します。
のっけから、意表の展開に驚かされました。

選択科目である倫理を受講する中に、酒井美由紀がいました。
彼女は読書家で頭も良いという、まさに優等生という言葉がピッタリな生徒です。
ところが、自分の能力を過信するあまり、周りの同級生だけでなく、教師や自分の親さえも「くだらない人間」だと見下していたのです。

彼女は、高柳のことも気に入りません。
授業を淡々と進める態度に、「子どもだと思って見下さないでください」と食ってかかかります。
それを受け、高柳は酒井美由紀の人物像を看破したかのように言い放ちました。

「誰もが 自分の視野の限界を 世界の限界だと 思い込んでいる」byショーペンハウアー

あなたには見下しているように見えても、他の人々も同じように見えているのだろうか?
そう決めつけているだけでは?
あなたは聡明がゆえに、周りが稚拙に見えている。
だからこそ、知らねばならないことがある。

そう話す途中で、高柳の目に緊急事態が飛び込んで来ます。
八木まりあという生徒が、今まさに屋上から飛び降りようとしていたのです!
高柳は普段の彼からは想像もできない表情で、屋上へ走ります。
美由紀も気が付き、高柳の後を追いました。

実は、まりあは彼氏に騙され、複数の男にまわされたショックから身投げしようとしていたのです。
パニックになった美由紀は、「そんなこと、死ぬことに比べたら大したことじゃない」と叫びます。
その瞬間、血相を変えて高柳は声を荒げました。

「違います!恋に破れたり、大切な人を亡くしたり、たとえ人生が退屈だという理由でも、それは命に換わるほど重い絶望になるんです!あの柵の向こうに行くことが、どれほどの覚悟が必要なことか…」

そして、泣きじゃくる八木まりあの心に、恥も外聞も捨て誠心誠意寄り添います。
すると、平静を取り戻した彼女は、思いとどまりました。
その間、酒井美由紀はへたり込んでしまい、何もできません。

高柳は、ふたりの生徒に語りかけます。

「なんといっても、最上の証明は経験だ」byフランシス・ベーコン

「たくさん勉強して、たくさん遊んで、色んな経験をしてください。そうすれば、貴方がたの視野はもっと広がることでしょう」

結局、まだ若い酒井美由紀は、この修羅場の前に何もできませんでした。
人を見下し、まるで全知全能の神の如く思い上がっていただけで、いかに自分の能力が空理空論であったかを痛感したはずです。

「誰もが 自分の視野の限界を 世界の限界だと 思い込んでいる」

この言葉が当てはまるのは、なにも酒井美由紀に限ったことではありません。
人は自分の目に映るもの、自分の心で感じるものを、世界の全てだと思い込んでしまう生き物です。
であるからこそ、人は様々なことを経験することでしか、視野を広げることが出来ません。

ショーペンハウアーの箴言は、我々全てが心に刻むべき戒めです。

「アレテーとは魂を傷つけず 良く生きること」

本田奈津子は、倫理の時間が好きな大人しい生徒です。
ところが、ある日、からかいながらカバンの中身をぶちまけた女性徒をイスで殴打します。
どうやら、カバンに大事なものが入っていたことがキレた原因のようですが、詳細が分かりません。

そのことで母親を呼び出され、心細い奈津子は信頼する高柳に同席を求めました。
母親と担任に事情を聞かれるも、頑として答えない奈津子。
しかし、高柳にならば話しても…という雰囲気です。

高柳は泣き止まない奈津子と二人きりになりますが、決して無理強いしません。
「話せなければ、適当にウソつきますから」

こうした悠揚迫らぬ態度の高柳だからこそ、奈津子も心を開いて話し始めました。
カバンの中からウサギのぬいぐるみを取り出すと、そのぬいぐるみの「リュウくん」に恋をしていると言いだします!
恋人のリュウくんを叩きつけられたから、殴ったのでした。
しかも、リュウくんの声まで聞こえ、会話もしていると言うのです。
もちろん、こんな話、奈津子も分かってくれるとは思いません。
だからこそ、誰にも理由を話さなかったのです。

しかし、高柳は勇気を出して真相を語ってくれた少女の声に真摯に耳を傾けます。
それどころか、「人間の心は本当にすごいなあ」と感動すらしています。

これまでの人生で、本田奈津子が人を殴ったのは今回が初めてです。
人をいじめたり、学校をさぼったり、万引きしたこともありません。
誰かとケンカをしたこともなければ、親に逆らったことさえありません。
本当は腹が立っても、ずっといろんなことを我慢してきたのです。
だから、そんな苦しみを毎晩、リュウくんに話していました。
すると、ある日、リュウくんの「大丈夫だよ。僕がいるよ」という声が聞こえたのです。
それから、リュウくんと共に、辛い毎日を生きてきました。

その話を聞いた高柳は、本田奈津子に確信を込めて言いました。

「本田さん、貴方は“アレテー”を手に入れています」

とても優しく、人を傷つけたり悲しませたりもしない。
そんな本田奈津子に、高柳は語りかけました。

「私には、貴方がリュウくんの力を借りて“良く生きている”ようにしか思えません。すごいなあ…こんな魂の形もあるんですね」

実は、本田奈津子は人間を好きになれないことに罪悪感を抱いていました。
しかし、高柳は優しく答えます。

「対象が何であれ、“愛する”という心があることは良いことです。貴方は大丈夫!ちゃんと歩めていますから」

そして、続けます。

「何を読もうと 聞かされようと 自分自身の理性が同意したこと以外 何も信じるな」byゴータマ・シッダータ

普通の大人では、本田奈津子の話を信じることなどできないでしょう。
しかし、高柳先生は一点の曇りもなく、ありのままを受け止めました。
彼の人を信じる心、魂の清らかさに驚嘆します。

しかし、リアリストでもある彼は担任や母親には「適当なことを言って、騙してきますね」と嘘の報告をして、けむに巻いてしまいます。
それは「本当のことを言うという“良いこと”よりも、今日の貴方を守るという“良いこと”」を選んだからでした。

まとめ

最後に、僭越ながら「哲学」「倫理」「倫理学」について考えてみたいと思います。

哲学とは人間や世界の在り様を探究し、本質を理解する試みといえます。
一方、倫理とは人として守るべき道理や秩序、簡単にいうと道徳やモラルといえるでしょう。

では、倫理学とは何なのでしょうか。
世間一般の道徳を杓子定規に用いるのではなく、そこに哲学的な英知を融合し、どうすれば人々がより良く生きられるかを考える学問といえるでしょう。
これは私なりに調べたことに加え、高柳という教師の言動から影響を受け、行き着いた答えです。
なので、本来の辞書的な解釈とは異なるかもしれません。

前述したエピソードを鑑みると、高柳は必ずしも教師としての倫理や道徳を遵守していたわけではありません。
人の世では時として、「どちらも正しく、どちらも間違っていない」ということが起こります。
そんなときに、高柳の行動規範となっていたのは教師としての立場や体裁ではなく、一貫して生徒の立場や心を守ることでした。

組織や大人の理屈、保身を前にし、人は本来あるべき倫理を踏み外します。
翻って、高柳の在り方は教師という枠を超えて、本来あるべき人としての姿だと感じます。

人が人として、良く生きる。
そのために必要なことを示唆してくれる物語。
それが「ここは今から倫理です。」。

P.S この作品は、作者が鬱病と戦った親戚のおばさんの自裁を胸に秘め、執筆したものである。おばさんは自分を助ける言葉を探すため、そして生きるために倫理の本を読み、己の心と向き合った過程を日記に認めた。大好きだったおばさんの魂のようなものを作者が感じ、精魂込めて書き上げているからこそ、我々の心に響くのだろう。

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